レターポットの成長のためには

 

 

1.日本の経済成長とはモノが売れること
 日本の成長戦略というものは「モノが売れる」という状態を是として成り立っています。国民がモノを買うと、モノを作っている会社が「我が社の製品は売れているから、ひとつ新しい工場でも建ててみるか」という気分になり、そうすると建設業界の仕事が増えるし、新しく工場で人も雇います。そうすると人手不足になりますから、いい人材をゲットするために給料が上がって行きます。給料が上がった労働者は「よし、給料も上がったことだしひとつ奥さんにバッグでも買ってやるか」と、またモノが売れるわけです。こうして景気が良くなっていきます。
したがって経済成長という観点からみると「モノが売れない」という状態は「悪」とされます。

2.広告代理店がトレンドを作る
 成長するためにはどんどんモノを作って、それを売り続けなければならない。モノを売るためには宣伝が必要です。広告代理店は、ありとあらゆる方法を使ってモノを売るお手伝いをしています。それが、日本最大手の広告代理店ともなれば、モノを売るために、流行やトレンドをゼロから作りだすほどの力を持ちます。

   日本には最大手の広告代理店が二社ありまして、仮にDとHとしておきましょう。

   一部の人にしか認知されていなかった秋葉原の地下アイドルを、一躍日本一のアーティストグループに仕立て上げたのはDです。熊本県の要請に対し、新しくゆるキャラを作って国民的キャラクターにしたり、震災後、東北地方でジャニーズグループを使って「食べて応援」というトレンドを作り出したのはHです。

   何がダサくて何がクールなのか、決めるのは世間ではなく広告代理店なのです。

  ちなみにDとHが両方協力して宣伝しているアニメ制作会社があります。スタジオジブリといいます。

 

3.「もったいない」より「断捨離」が流行る
 わかりやすい例を出します。ケニアワンガリ・マータイさんという女性が「もったいない運動」というのを提唱したことを覚えている人は少なくないでしょう。彼女は環境問題のために「もったいない」という概念を世界共通の言葉として広めようと活動しました。一時期大きな話題になりましたが、すぐに下火になり、今ではほとんど口にする人もいません。
 反対に日本では「断捨離」が大流行しています。もともとは仏教用語ですが、「もったいない運動」と同じ時期に提唱されはじめ、2010年に流行語に選ばれ、今ではほとんど普通名詞のように一般化しました。
 「断捨離」は勝手に流行ったのではありません。トレンドを作りだしたのは紛れもなく、最大手の広告代理店です。
 では「もったいない」と「断捨離」の違いはなんだったのでしょうか。もうおわかりですね。みんなが「もったいない」とモノを大事にしたら、新しいモノが売れないのです。「断捨離」は自分に取って不要なモノを捨て去る行為ですが、モノを捨てさせれば、また新しいモノを欲しがらせて売りつけることができるというわけです。

4.そして誰も結婚しなくなった
 もっと大きな話をしますが、日本の生涯未婚率(50歳までに一度も結婚していない人の数)は男性23パーセント、女性14%です。つまり現代社会では男性の5人に1人以上は結婚しません。結婚するかしないかは個人の自由なので、善悪では測れませんが、数字だけ見れば異常な高割合と言えるでしょう。
 これにも最大手広告代理店は絡んでいます。陰謀論のようですが事実です。
まず大前提として「結婚することを望まない人」にはしばしば個人的な理由があり(なにしろ日本は異性しか婚姻を認めてないような国ですから)、他人には全く関係がないし、口出しもできません。私はいかなる場合でも結婚しないという選択をした人を批判することはありません。「人様のことなんてほっておけ」が生きやすさの秘訣です。
しかし、ネットなどに散見される、「結婚しない方が得」とか「独身の方が気楽」という理由から非婚を選択する意見は、個人的というよりは社会的な判断と言えます。そして社会的な判断こそ、大手広告代理店が私たちの社会に植えつけ、蔓延させたある種の「洗脳」の効果なのです。
現代社会においては、お互いに干渉せず、保護や扶養の責任も求められない、自立した「大人」同士が「クールな親密さ」のうちで暮らす方が、生きる上では面倒が少ない(ので、結婚しない)と考える人は多いです。
扶養介護する義務を負い、その意向をつねに配慮しなければならない家族を持っている人は、そうでない人よりも行動の自由が制約されてしまうことは客観的な事実です。
また「面倒だから独身を選ぶ」という人の中には「こだわりの生き方」を持った人も多いです。好みのインテリアで部屋を飾り、好きな音楽をかけ、好きなものを食べ、好きなときに、好きな場所(国)に遊びに行く。そういう生き方を「譲れない」という人たちです。そういうブロガーもたくさん見てきました。
ただ、これらの「自分らしく生きる」こだわりは、すべて「消費行動」を通じて果たされるものです。消費行動を単独で行いたい、ようするに「自分で稼いだ金は自分で好きな事に使いたい」と言っているだけなのです。
消費単位が家族であると消費は自由には行われません。つねに「家族内合意」というものが必要になるからです。「モノが売れない」最大の原因はこの合意形成にあります。
高度経済成長期は、みんな戦争で焼かれてモノを持っていなかったので、何を作っても売れた時代でした。ところが、テレビも洗濯機もマイカーも一通り各家族にいきわたったら、当然ですが売れ行きに陰りが見え始めます。特に昔の日本製のモノはそう簡単には壊れませんから。
消費単位が家族であるとモノが売れない。では、どうすれば消費行動は活性化するだろうか。「そうだ!家族を解体しよう!」冗談みたいな話ですが、こう考えたわけですね。
家族全員がそれぞれの「好み」に応じて買い物をすれば、モノは格段に売れるようになります。簡単な話、独身貴族ばっかり増えたら、車や家電はもっと売れるということです。

5.経済成長が最優先される社会
これは別に、私の妄想というわけではなく、内田樹先生も以下のように指摘しておられます。
「消費単位を家族から個人にシフトすることによってもたらされる「マーケットのビッグバン」こそは1980年代以降、政府から百貨店まで、フェミニストから電通まで、官民挙げての大キャンペーンで推し進めた国策的課題でした。日本国民はこの中曽根首相からの大号令に粛々と従って、「家族解体」と「こだわりの消費生活」に邁進しました。」
具体的に言うと私たちの目の前に現れるありとあらゆる広告、テレビドラマ、映画、音楽、本、雑誌、マンガ、新聞、ラジオなどのメディアが総動員して「結婚したら自由がなくなる」とか「結婚よりも自分探し」とか「愛する人と結ばれないなら死んだ方がまし」とか「結婚にしばられない恋愛」とかの価値観を植え付けたわけです。
他者と共生して生活財を分かちあって暮らす術も、貧しさと折り合う知恵も、消費活動における合意形成も、どれも「経済成長」にとっては百害あって一理なしだからです。
モノを売るためには家族を形成してはならない。これは国家的レベルでの要請で、最大手広告代理店が(彼らもまたモノが売れなければ滅びるわけですから)本気を出しました。まさしく非婚化は80年代以降の国策の劇的成功の結果なのです。
古い価値観を否定し、愛と自由を謳歌していたはずが、実は、消費拡大のための国策という、お釈迦様の手のひらの上で、「自分探し音頭」を踊らされていただけ、ということです。
 その結果、当然のように少子化になって今度は買う人がいなくなってしまった。自業自得です。そしてあわてて「婚活」とか「負け組」などという言葉をでっち上げて流行らせて、今度は「結婚はいいもんだ」ムーブメントを起こそうと頑張っているようですが、依然として非婚化・少子化に歯止めはかかりません。価値観というのは一度ぶっ壊したら最後、二度ともとには戻らないものだからです。でも経済成長のためには働き手も買い手ももっとたくさん必要なので当然「移民政策」という選択肢が浮上します。
 この通り、「経済成長」が全てに優先する社会では、私たちの価値観は破壊され、覆されていきます。しかもやり方が巧妙で、私たちは洗脳されたと気が付かず、あたかも「普遍の真理」であるかのように、あるいは「自分で辿り着いた価値観」のように思い込んでしまうのです。でも気を付けなければなりません。「経済成長」が何よりも優先される社会では戦争も消極的に支持されるようになるからです。何しろ戦争ほど短期間に何かを「消費」する行為を、人類は未だ手にしていないわけですから。

6.レターポットの首を絞めるトレンド
話が信じられないくらい脱線してしまったんですけど、実はレターポットの話がしたかったのです(笑)
レターポットには現在「レターがなくなったとつぶやけば買わなくても誰かが送ってくれる」という風習があります。一種のトレンドといえます。これは一見優しくてすばらしい文化のように思えますが、「レターポット経済圏全体の成長」という観点からみると、確実に自分で自分の首を絞める悪手です。なぜなら「レターポットって、レター買わなくてもいいんだ」と思う人が増えるからです。
レターポットユーザーは現在5万人弱いるので、全員が一度にアクションを起こせば、切手代として一回で125万円分のレターが市場から消滅して運営の利益に回る計算です。なので、「レターを循環させればさせるほど運営が儲かる」みたいなイメージが湧きますが、これは違います。最初に誰かが運営から購入した金額が運営の売上げ全てです。その中から切手代として回収する分を利益として計上するだけであって、アクションによって運営の売上が増えるわけではありません。当たり前ですけど。
運営のお金は増えないわ、レターは市場から目減りするわで、マクロでみたらレターポット全体がやせ細っていくだけなのです。
運営の台所事情が芳しくないとどうなるかというと、「運営への意見はレターで」とか「支援ついでに社員旅行します」みたいな「ちょっとそれどうなん?」という政策に如実に表れてしまいます。ようするに思ったよりレターを買ってくれる人が少なくて焦っているのです。しかし「資本主義から贈与社会に」とか「恩送り」という壮大な概念をコンセプトとして標榜している以上、直接的に「経営危ないからレター買ってよ」と言うと角が立ってしまいます。これは困った。
そこにきて「買わなくても誰かが恵んでくれる」というトレンドが流行っているのです。これはミクロな文化としては楽しいですが、マクロな経済(運営やレターポット経済圏全体)からすれば百害あって一利なしと言えるでしょう。「もったいない運動」に近いものがあります。広告代理店なら決して流行らせないトレンドです。
また、「自分からくれくれと言うのは抵抗がある」という人は少なくありません。レターポットユーザーにはそういう慎ましい性格の人がたくさんいるからです。そういう人が「くれくれ君」がレターをたくさんもらっているのを見て内心モヤモヤしてしまう可能性も十分あります。
代わりに違うトレンドが流行ってくれた方がレターポット的経済成長のためにはいいと思います。「恩送りとは、自分からほしがるではなく、まず与えること。レターを買って誰かに贈ってみましょう」とか。もっと強烈なのがよければ「みっともないぞ、レター乞食」とか「自分から与えてないのに、人からもらおうとするのっておかしくない?」みたいな空気を作るとか。ちょっとギスギスして楽しくなさそうですね(笑)
せめて「返信不要」「既読スルーOK」みたいなマナーの並びで「自分からやたらに欲しがる行為は控えよう」みたいにするとかね。

 

 

さて、今回もまたレターポットについて語ってしまいました。ユーザーでもないのに、すっかりレターポット評論家みたいになってしまっています(笑)でもユーザーじゃないからこそ見える視点もあるかも知れないので、許して下さい。お付き合いいただきありがとうございました。